2012年5月2日水曜日

エヴァンゲリオンについてです。本作品では「真実」は人それぞれの中にあるものと...

エヴァンゲリオンについてです。本作品では「真実」は人それぞれの中にあるものとして定義されていますが、「事実」はひとつだけだと私は思います。「事実」に近づくためによろしくお願いします。

旧劇場版The End of Evangelionからの質問です。以前にもエヴァンゲリオンについて質問をさせていただいたのでそちらも見ていただければと思います。今回の質問はシンジ君のインナースペースに現れたアスカについて「何故アスカがシンジの内面世界にいち早く出てきたのか?」という前回の質問に対しての答えにあった(「シンジの内面描写なので当然シンジの世界でもありますが、登場したアスカは本物です(※注)」、「数年前に製作側が書籍で解説してくれたので確実です。」、「※注 アスカ本人が、シンジと早くから精神が交わっていたのは公式にも認められており間違いありませんが、精神世界での全ての台詞が本人であるわけでもないのが面倒です。「優しくしてるじゃない」などの明らかに本人ではないと分かるものと、「あんたとだけは~絶対に死んでもイヤ」のように、前後の連なりから本人でないとする説のあるものなど、色々ですが。」)この「公式」、「製作側の書籍」とは何なのでしょうか?製作側から出されている解説書や公式見解についての知識がなくわかりません。すいません。 できれば今までに出された製作側からの解説書や公式見解についてできるだけでいいので教えていただけないでしょうか?大変な作業になるかもしれませんがよろしくお願いします。







>この「公式」、「製作側の書籍」とは何なのでしょうか?



この場合の「公式」のニュアンスは、ファンによる「解釈」「妄想」ではない公式見解や設定、本編の映像そのもの、製作側の発言などのことだと思います。「解釈は自由」もいいのですが、やっぱりそこは線引きが要りますから。

それと「製作側の書籍」じゃなくて、元の文章では「製作側が書籍で~」と書いてあったようなので、単にオフィシャルな書籍で解説されていたといった意味か、何らかの書籍でのスタッフインタビューなどの事だと思いますよ。



今までに出た情報についてここで書き連ねるのは、ごめんなさい、無理です。書籍だけでもかなりの種類になりますし、数限りない雑誌等もあります。加えて、ぱっと思いつくだけで、ラジオ、テレビ、ネット、各種ビデオソフトの付属、グッズにあったインタビュー、イベントでのトーク、etc、etc。細かすぎますw もちろん個人がこれらを網羅しているわけはなくて、(ごく一部の濃ゆい)ファンそれぞれで入手して語り合って知識共有してきたわけですが。



ともかく少しでも情報が欲しい!という事であれば、とりあえず「エヴァンゲリオン・クロニクル」(書籍)を入手してはいかがでしょうか。もっともベーシックな解説書だと思いますよ。








これはアスカにはサードインパクトが起こったさなかでも、自分は自分でありたいという意思があったからです。

また、旧約聖書に基づき一番最初の人類アダムとエヴァをまねたのでしょう。

この2つが一番わかりやすく、有力ですね。







なんか、大仰すぎていまいち意図が掴めないけど、

そこに挙げてる程度の事(内面世界で早くからアスカ自身が出てる)なら、

分冊百科エヴァンゲリオンクロニクル、っていうやつだけ見れば載ってるぞ







『製作スタッフの監修のもとで、本編中の内容を説明するものとして造られた作品』が公式の資料と言えるものになるでしょう。



具体的には『エヴァンゲリオン脚本集』、『映画のパンフレットおよび予告編』、『エヴァンゲリオン・クロニクル』、『その他、庵野監督のインタビューでの発言』などが、公式として扱えるものになるかと思います。

紙媒体の資料はヤフオクやAmazonなどで購入可能。音声媒体の資料はYoutubeやニコニコ動画で一部は見ることが可能ですね。



たとえば本来の補完計画が12体のエヴァとアダムを用いるものだったという設定は、劇場版予告編でのミサトの発言「このためにエヴァが13体必要だったのね」が根拠の一つとなっています。このセリフはテレビ版・劇場版どちらにも出てきません。

これは他の設定とも特に矛盾を生じないため、作中そのようなことがあった、としてよい部分だと考えられます。



グレーゾーンになるのは、ゲーム『新世紀エヴァンゲリオン2』内の用語解説ですね。

一例として、零号機に魂が入っていないというのはこの作品で明記されていることです。しかし魂がなければ暴走やシンジとの互換実験の説明がつけにくくなります。



一方で『wikipedia』、2ちゃんねるの『エヴァ板』、『名探偵エヴァンゲリオン』、『初期設定資料』、『マンガ版』、『新劇場版』あたりは、公式ではなく参考資料として捉えています。



先に挙げた資料はほぼすべて読んでいますが、質問者様が疑問に思われている部分について明記された箇所はなかったかと思います。しかし他の方が「公式で~」とされているので、これは私の情報不足でしょう。



ただ、結局のところ事実に近づきたければ、登場人物らの都合と、製作者の都合(メタ)を想像して、矛盾を排しながら自分で考えていくしかないと思います。製作者の都合とは製作環境やスケジュール、庵野監督の思惑などではなく、「製作者がこのキャラクタをこう動かした意味」などです。



たとえば劇場版最後の場面では、シンジとアスカ以外の誰も生き返らないとしても矛盾はありません。

『魂のルフラン』を作詞した及川眠子さんは、打合せのときに庵野監督が「次が出来ないように殺しちゃうんです。もう疲れましたから」と発言してとしています。

新劇場版のプロデューサー大月俊倫さんも「(旧)劇場版は世界が破滅して、シンジとアスカだけ生き残るという破滅的な形で終わりましたから、あの続きはありえない」と発言しています。

しかし、そうなるとユイ(リリス)に「誰もが元の姿に戻れる」というセリフを言わせた意味がなくなります。



このとき私は公式だからと、「破滅した」に答えを絞ってしまうのは間違っていると考えます。

「公式だから正しい」というのは「使徒は敵」というのと同じ、与えられた正解だと思いますから。たとえ間違っている可能性を残していても自分で考え出した答えにこそ価値があるというのが、エヴァという作品のテーマの一つでもあるはずです。



作中の出来事と公式が相容れないとき、私は公式を採ることをしません。明確に出来ない部分は、あり得る可能性を想像して、絞らずにとどめます。それ以上踏み込んだら「真実」になってしまうと思うので。

あと、知恵袋での質問に対しては「公式」の回答は大抵他の誰かが書いてくれるので、別の立場からの回答の可能性を挙げる人がいてもいいんじゃないかな、と思って回答しています。

質問者様のスタンスは当然私とは違うと思いますが、事実へのスタンスを今一度見直されるのも一考に値するかと思っての余談でした。



回答になってる部分が少ないですね。すみません。

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