旧劇場版エヴァンゲリオンの補完
結局、旧劇場版の補完計画はゼーレの行いたかった補完計画
ということなんでしょうか?
アニメ版は碇シンジの補完計画という認識でいいのでしょうか?
アニメ版ってのはテレビ版のことを言いたいのだと想像して書く(劇場版もアニメ)。
旧劇場版とテレビ版は、描いてる内容は基本的にほぼ同じ。
主にシンジの内面描写にのみ特化してるのがテレビ版。外界の様子なども含め、総合的に描いてるのが旧劇場版(もちろんシンジの物語である以上、シンジ中心に描かれてはいるが)。
ゲンドウのやろうとした補完計画はレイに見放されて頓挫したので、どちらも、発動したのはゼーレによる補完計画。人類の魂をひとつに集め原始に還り、新たな単体生命へと生まれ変わろうとするもの。シンジはあくまで、彼らに利用された生贄のようなもの。
ところがレイ=リリスがシンジに呼びかけ、心が壊れていたはずのシンジが「つらくても生きていくこと」を選択したために、結局はゼーレの補完計画も失敗した(シンジの決断によって計画崩壊したことなどは公式のガイドブックにも書いてある)。
本題の前にちょっとエヴァの世界観から。
エヴァの世界では、人は、ATフィールドといういわば心の壁を持つことによって、一つの固体として生きています。
ATFとは心の壁、他人との境界線です。
これを失うと、やがて固体として保てなくなり、肉体は崩れていきます。
また、知恵の実、生命の実というものが存在しますが、
知恵の実は有限の命を持つ代わりに、知恵により発展する。
生命の実は無限の命を持つ代わりに、知恵を持たない。
知恵の実を食した者が人類(ヒト、リリン)で、
生命の実を食した者が使徒(シト)です。
知恵・生命、両方の実を手にした者は神と等しき存在になります。
「人類補完計画」とは、このATF(心の壁)を取り払い、人類を纏めて一つの生命体にしようという計画。
補完計画にはゼーレ案とゲンドウ案があり、
ゼーレ案は、知恵の実を食べた人類の原罪を神に許してもらい、「無」へ還ろう計画。
ゲンドウ案は、知恵の実を食べた人類を更に生命の実を食べ、ヒトを神に近づけよう計画。
・・・ま、こんなところです(`・ω・´)☆ミ
>アニメ版は碇シンジの補完計画という認識でいいのでしょうか?
↑
アニメ版というのは、TV版のことですか?
「アニメ」といっても、TV版も、旧劇場版も、新劇場版も全て「アニメ」に分類されるので気をつけて下さいね。
TV版の方は、シンジの精神世界や内面を描いたストーリーです。
詳しく申し上げると、
TV版はシンジの内面や精神世界などを描いたもの。
旧劇はシンジ以外の世界、外界や実際に起こっている出来事(補完計画、サードインパクトなど)を描いています。
時系列はどちらも、同じで、TV版ラストと旧劇は同じ時間で起こっている出来事です。
ようは、
TV版【第壱話】
↓
~略~
↓
TV版【第弐拾四話】
↓
TV版【第弐拾五話】シンジの精神世界(内面の世界)
&
旧劇【第25話Air】表向きは補完計画始動
↓
TV版【最終話】シンジの精神世界(内面の世界)
&
旧劇【第26話まごころを、君に】表向きは補完計画始動中
・・・と思ってもらって下さい(`・ω・´)
旧劇場版を見ている限りでは、ゼーレは死海文書に記されていた記録のとおりに補完計画を進めていた「だけ」のように思えます。その後どうするかは、冬月先生の言っていたとおり、シンジくんに任せる、といった感じでしょうか。
エヴァ自体むずいので、適当に思ったことかかせてもらうと、
劇中では、「人類補完計画」と言われてましたよね。ってことは、超単純に、世界中の人類を、使徒から護るという意味なんじゃないですか?そのためのエヴァな訳であって。シンジ君Onlyとかじゃないと思いますけどね。ゼーレはよく悪者的なイメージを貼られがちですが、けっこういい人たちなのでは?どちらかと言えば好き勝手やってるゲンドウのほうがいかんようなきが・・・・。w
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